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宮城県仙台在住 齋藤様 11・03・18
大震災体験
たくさんの方々からご心配のメールをいただきました。
ありがとうございました。お陰様で無事です。
11日は、私たちフィールドセンターの水産部門のある女川に出張中でした。
女川フィールドセンターの事務室で、同センターの職員・学生とともに地 震に
遭遇し、ただちに高台へ車で避難しました。しばらく様子をうかがっているうちに、
津波が上がってくるという声で、車を捨てて走って、さらに上 へと退避しました。
津波後、みぞれの中、呆然と水産物倉庫の建物に避難していたところ、近く
の旅館へ誘導されました。最初に避難した場所はチリ津 波では無事であった場
所と、後で地元の方に聞きました。
女川フィールドセンターの建物は海に面して建てられていますので壊滅です。
人的被害はなかったものの、教員・学生のこれまでの研究成果はすべて波
にさらわれました。
唯一、地震直後に退避のために沖合に出航した練習船のみが無事でした。
女川は地震直後から携帯は全く通じなくなりました。中継局がやられて「圏外」
になってしまったのでしょう。今もそうだと思います。
多くの三陸の被 災地も状況は同じと思います。
また、電波状況が悪く、NHKFMしか入りませんでした。
NHKでは地震情報をAMで流して、FMで安否情報を流し ているので、肝心の
ニュース(被害状況等)がわずかしか入ってきません。NHKFMでは「・・・さん、
心配しています、連絡してください」という 安否確認情報の放送が延々と流れます。
連絡したくてもできない立場からすると、これは心理的ストレスを高めます。
避難所となった場所が、旅館であったこと、また、その支配人のリーダーシップ
がすばらしく、他の公共の避難所よりは少し状況はよかったかも知れま せん。
住民が地区ごとに結束しており、2日の避難所ぐらしでしたが、大きな悲しみを
抱えながらも、年寄り・子供をいたわり落ち着いて行動する人々 に大きな感銘
を受けました。
2日間の避難所生活の後、13日夜、仙台から救援に来られた方の車に乗せても
らって仙台へ戻ることができました。
仙台も、中心部を除き真っ暗闇で ガソリンスタンドだけに車の長蛇の列が続いて
いました。
14日、鳴子のフィールドセンターからの迎えの車で鳴子へようやく戻ることが
できました。
現在、鳴子の職場で対応にあたっています。鳴子では、燃料不足が深刻ですが、
電気も水もありますので、なんとかなります。
まだ盛岡に帰れていませんが、盛岡の家族もお陰様で無事です。家の中も、
ガラス類や鏡の破損以外に大きな被害はないとのことです。
女川の惨状は報道されていますが、現場は想像を絶します。
緊急対策と同時に、今後、長期的な支援が必要となります。その際には、どうか
ご理解とご協力をお願いいたします。
とり急ぎ、お礼とお知らせまで。
以上
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